萩本欽一(欽ちゃん)はチャップリンを最初はそんなに尊敬していなかった!…らしい

スポンサーリンク
芸能
LINEで送る
Pocket

先日、NHK BSプレミアムの萩本欽一さんの番組「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」に全国仮装大賞でコンビを組んでいる香取慎吾さんが出演することが発表されました。

そんな萩本欽一さんが尊敬するコメディアンとして、あの喜劇王「チャールズ・チャップリン」の名を挙げていますが、実は最初はそれほどでもなかったという噂があります。
その辺りの事情を調べてみました。

萩本欽一

本名  萩本 欽一
生年月日  1941年5月7日
身長  164cm
体重  65kg
血液型  A型
出身  東京都台東区
出身校  駒込高等学校卒業
愛称  欽ちゃん
所属  浅井企画、佐藤企画(業務提携として所属)、萩本企画(浅井企画の関連会社)

故 坂上二郎とのコント55号で人気を博し、「コント55号のなんでそうなるの?」
「欽ドン!」「欽ちゃんのどこまでやるの⁉︎」「スター誕生」「欽ドン!良い子悪い子普通の子」といった高視聴率の人気番組で大活躍しました。

現在は、「欽ちゃんの仮装大賞」「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」に出演しています。

また、日本野球連盟茨城ゴールデンゴールズの初代監督を務め、2015年4月からは駒澤大学仏教学部に入学、在学していましたが、2019年5月に自主退学しています。

チャールズ・チャップリン

本名  チャールズ・スペンサー・チャップリン
生年月日  1889年4月16日
没年月日  1977年12月25日(88歳没)
出生地  イギリス ロンドン
死没地  スイス コルズィエ=スュール=ヴェヴェイ
国籍  イギリス

主な作品

「キッド」
「黄金狂時代」
「街の灯」
「モダン・タイムス」
「独裁者」
「ライムライト」

受賞

アカデミー賞
・作曲賞
1972年『ライムライト』
・特別名誉賞
1929年『サーカス』の製作に対して
1972年 映画界に対する長年の功績に対して

ヴェネツィア国際映画祭
・栄誉金獅子賞
1972年 長年の功績に対して

ニューヨーク映画批評家協会賞
・主演男優賞
1940年『独裁者』

AFI賞
・映画スターベスト100
1999年(男優部門第10位)
・ロマンチックコメディ映画ベスト10(第1位)
2008年『街の灯』
・アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100(ヒーロー部門第38位)
2003年『街の灯』

言わずと知れたイギリス生まれの国際的な喜劇俳優であり、監督,制作者でもあります。
山高帽、ちょび髭、どた靴という独特の格好で,数多くの短編喜劇映画に出演し、一躍世界中の人気者となりました。

1953年からはスイスに移住。
1975年にはイギリス王室よりナイトに叙せられ、サーの称号を受けています。

欽ちゃんとチャップリンの対面

尊敬するコメディアンとしてチャップリンの名を挙げていたことから、さぞかし、憧れの存在なのだろうなとおもいますが、実は、欽ちゃんは「世界で一番有名な人だから」という程度でチャップリンの名前を出していただけのようです。

え?そうなの!?

とビックリしてしまいますが、最初の頃はそうらしいです。
当初は、チャップリンの映画も2本しか見たことがなかったというから驚きです!

さすが、欽ちゃん!っていう感じです(笑)

そんな萩本欽一さんとチャップリンの関係ですが、1971年にフジテレビの番組の企画で当時スイスに移住していたチャップリンに面会しに行きます。

しかし、チャップリンは当時、誰にも面会しないと言われていたそうなので、企画したものの、実際は実現するかどうかはなんともいえない状態だったそうです。

欽ちゃんのスケジュールは4日間だけで、初日は警護の人間から「チャップリンはいないから会えない」と断られてしまったそうです。
また翌日、車で帰宅してきたチャップリンと車の窓越しに対面はできましたが、やはり家の中には入れなかったようで、迎えた3日目、かつてチャップリンのマネージャーを務めていた高野虎市さん(チャップリンに日本人のマネージャーがいたということもビックリです)からの「日本人、特に女性が好きなので女性を連れて行けば会えるだろう」というアドバイスで博多人形を持参したそうですが、またまたマネージャーから「預かりはするが、日本からの客人が置いていったとだけ伝える」という冷たい対応を受けてしまいます。

そして、とうとう最終日、せめて敬意を持っているという気持ちだけでも伝えたいと粘りましたが、マネージャーからはやはりNG。

そこで怒りと失望から、欽ちゃんは思わず、日本語で「あの(ヒューマニズムにあふれた)映画は嘘だ!」と大声で叫んだら、それを聞いたチャップリン本人が「何事か」と外に出てきて、迎え入れてくれたそうです。

うーん、欽ちゃんの粘りと執念ですね(笑)

ちなみに、チャップリンには、いろいろとたかりに来るような輩がいたため、マネージャーが極力会わせないようにしていたということです。

さすが、有名人ですね。

そして、この面会以後、欽ちゃんは、チャップリンに対して、心からの敬意を抱くようになり、作品も全て見るようになったそうです。

1977年のニッポン放送のラジオの生出演中に、チャップリンの訃報を伝えられると、欽ちゃんは思わず、放送中にも関わらず、泣き出してしまったということです。

最初は、映画も2本しか観たことがない、ただ「世界で1番有名な人だから」という理由だけで、チャップリンの名を挙げていた欽ちゃんですが、最後には真の尊敬するコメディアンという存在になっていたんですね。

まとめ

そんな萩本欽一さんですが、今出演している「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」が人生最後の番組と公言しているそうですが、まだまだ現役でお笑い界を引っ張っていってほしいですね。

名実共に“日本のチャップリン”と呼んでも過言ではないと思います。
これからも私たちを笑わせてください!

コメント

タイトルとURLをコピーしました